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【プライムコンサルティング 自分の人生のリーダーたちへ】第175回 『柳絮』(りゅうじょ)

【プライムコンサルティング 自分の人生のリーダーたちへ】第175回 『柳絮』(りゅうじょ) 漫步创媒Whenever上海
2025-05-14
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导读:気持ちの良い季節が始まりましたね。あっという間に夏になりますので、この季節を楽しみましょう。


 気持ちの良い季節が始まりましたね。あっという間に夏になりますので、この季節を楽しみましょう。

 ところで、綿毛のような白いものが空気中をフワフワと漂っているのを見たことはありませんか?

 あれは『柳絮』(りゅうじょ)と言って、 白い綿毛のついた柳の種子なのです。これを見ると、2011年の春を思い出すのです。


■40歳の成人式

 成人式の夜(今から35年前)、喫茶店で同級生の彼女にこう話した。『成人式は迎えたけど、大人にはなれていない。俺の成人式は40歳にする』と。

 当時、大学二年生。バブルに輝いた世界を感じていたが、それ自体にあまり興味はなく、小学校三年生からの夢「中国に住み、自転車で中国を横断すること」こそが、何よりも大事な事だった。

 当時、「大人と言うのは、自立していて、夢を実現できる人の事だ」と考えていたので、20歳の自分が、その入り口にさえ立っていないことは分かっていた。

 そこで大きなビジョンを掲げた。つまりそれが「40歳の成人式」。

 40歳になった自分が、中国に住み、中国で自立して、自転車で中国を走る姿をイメージした。テレビに映るシルクロードのあの道を、砂埃にまみれながらランドナー車(旅用の自転車)で走る姿…を、目の前の彼女に話し続けていた。

 そんな夢を僕は周囲に話し続けてきた。身近な人以外は応援して、身近になればなるほど「人生、棒に振る気?」と反対する(と言うか、相手にしてくれない)ということが分かった。それは僕への愛情から反対してくれているということも分かったが、お喋り好きの僕は、それでも夢を語り続けた。


■中国へのチケット

 僕は30歳で一度、転職した。最初の会社では中国に行くチャンスがほぼゼロだった上に、「人」に関わる仕事に就きたかったからだ。

 転職の面接でも直接伝えた。「自分は40歳を成人式にしています。40歳で退職して自転車で中国を走ります。それまでの10年間、仕事で走ります。よろしくお願いします」と。で、採用(笑)

 入社5年間、死ぬほど働きながら、その間も夢を語り続けた。

 夢も30年近く語り続けりゃ、神様も言う事を聞いてくれる。成人式から15年。35歳になって遂に中国行きのチケットを手にした。9歳で描いた夢、成人式で決めた目標に遂に「王手」をかけた。

 40歳になるまでの5年間、駐在員総経理として、民営企業のM&A、現地法人の設立から現地化までを完了させた。

 そして遂に2010年末。飯高直人40歳。17年間のサラリーマン人生からドロップアウトして、自転車の旅に出発した。

 あ、当時、身近な人以外の存在だった当時の同僚が、今の奥さん。(結婚前から、ずーっと掲げ続けた夢ですから、旅に出ることも心から応援してくれた存在。今でも一緒にプライムで働いています)

 結婚式も、新婚旅行も、結婚指輪すらあげられなかった35歳。書類だけ役所に出してそのまま単身赴任。その後、僕が旅に出る直前まで夫婦別居。つまり結婚5年間、一度も一緒に住むことはなかった。そしてそのまま僕は旅に出た。


■柳絮

 自転車は大阪からフェリー(蘇州号)で一緒に乗って運び、その後、まずは蘇州へ。そこで最後の旅支度を済ませていよいよ出発したのだ。

 ちょうど今くらいの季節だった。自転車で田舎道を走っていると、『柳絮』(りゅうじょ)が風に運ばれてくるのは、見る分にはとても綺麗で良いのだが、ゼィゼィと大口を開けながら走る僕の口、鼻、目にまで入ってくるのだからタマッタもんじゃない。バンダナで顔を覆いながら走るものの、息が苦しくて本当に大変だった。

 だから、『柳絮』を見る度に、子供の頃から今に至るまでの人生を振り返る。

 旅では幾つか簡単なマイルールを作った。その一つが「毎日の走行距離=宿泊代」だ。つまり100㎞走れば100元のホテルに泊まれるというルール。今では無理かな…。ほかにも「気に入った場所があれば、逗留する」というルールもあった。

 ド田舎に一週間くらい滞在したり、温泉があったから暫く居留まったりしながら旅をしたので、その後、西安、蘭州、青海、敦煌、ウルムチまで走るのに9カ月近くもかかってしまった。

 途中、旅のテーマの一つ「黄河の源流への訪問」も果たせた。これは、歌手のさだまさしさんとの約束でもあった(彼は長江を目指した)

 ちなみに、黄河の源流がある場所は、標高五千メートル近くで、周囲に誰も住んでいない。携帯の信号も何もない。夏でも夜は氷点下だった。

 大変だったのは高山病と、チベット犬。高山病が死に直結する事を身をもって知れたし、チベット犬10頭に囲まれた時には、本気で死を覚悟した。

 書ききれないほどの体験をした。道中、どれだけ多くの人に助けてもらったか。

 道路脇のドライブインで、長距離運転手の集団に招かれた大ランチ会や、 扉の無いトイレで、順番待ちの状態で用を足す(つまり全部見られている)体験は正に「大人になった」証だった。

 もしこれを読んでいる方がいるなら、旅をお薦めしたい。自転車でなくても良い。本当に中国は美しく、体験に溢れているのですよ。


ご意見、お問い合わせは、飯高まで

info@ren-one.com



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