大数跨境
0
0

【Biz歴史話】中国から新茶を運べ──スピードレースを繰り広げた快速帆船ティー・クリッパー

【Biz歴史話】中国から新茶を運べ──スピードレースを繰り広げた快速帆船ティー・クリッパー 漫步创媒Whenever上海
2017-10-16
4
导读:BizCHINA歴史話。中国の新茶をいかに速く英国へ届けるか、19世紀にスピードレースを繰り広げた快速帆船のエピソードを紹介する。

Whenever BizCHINA サイドストーリー


 BizCHINA11月号(10月19日配布開始)では、15世紀前半にインド洋をまたぐ大航海をおこなった明代中国の航海士・鄭和について紹介している。「一帯一路」のルーツともいえる歴史エピソードで、約200隻の船舶と3万人近い人員で構成された遠征隊は、人類史上有数の大規模航海プロジェクトだった。そこで今回はその逆、西から中国へ、“スピード”が追求された航海を紹介しよう。本誌より先に出るのもスピードゆえに。

↑ 鄭和の艦船の再現模型。左奥は鄭和の像(太倉市鄭和公園)


お茶運びレース加熱

 中国の茶葉は長らくインド洋航路の主要交易品のひとつだったが、19世紀に英国で喫茶の文化が発達すると需要量が飛躍的に増大し、中国から英国へのリードタイムの短縮も重要な競争力ポイントになってくる。

 この需要を受けて19世紀半ばに競って生産されたのがClipper(クリッパー)と呼ばれる大型快速帆船で、総帆面積の巨大化により風力を活用することでスピードを高め、以前は片道1年程度かかっていた英中間の茶葉輸送を、4カ月程度まで劇的に短縮した。

 並行して、いかに速い茶葉輸送用クリッパー“ティー・クリッパー”を投入し、茶葉を迅速に英国市場に供給するかというレースも盛り上がりを見せ、その年で最初に3万t以上の新茶を中国から持ち帰った船には表彰もおこなわれていた。

 クリッパー自体は米国を起源とするが、このお茶運びレース(茶-1GP?)を受けて英国独自のクリッパーの開発機運も高まり、それに応えて世界最速を目指して生み出されたのがCutty Sark(カティサーク号)だ。

↑ 客室のアメニティとしてお茶セットが常備されている点で、日本や中国と「差不多(中国語で大差ない、の意)」な英国のホテル。18世紀、欧州の国々がコーヒー派に向かう中、英国国民は茶を好み、19世紀前半にはアフタヌーン・ティーという様式美も生み出された


快速帆船カティサーク

 カティサーク号は1869年、白いトップハットがトレードマークの海運会社オーナーJohn ‘Jock’ Willis氏のオーダーにより建造され、1870年にデビューする。2月にロンドンから上海に向けて出発したカティサークは、8カ月後に600tの茶葉を英国に持ち帰った。ティーカップ2億杯分以上の紅茶を淹れるに足る分量で、今日の貨幣価値に換算して100万ポンド(執筆日のレートで約1億5000万円)以上に相当した。

 これを皮切りにカティサークは毎年、英国と中国の間を疾駆し、新茶をせっせとロンドンに運ぶことになる。乗組員は28人、少ないときは19人で、かなり過酷な航海だったようだ。

 気になる“茶-1GP”では1872年に優勝争いを展開。先に中国入りしていたライバルのThermopylae(テルモピレー)号に帰路で400マイルの差をつける快挙を見せたものの、暴風雨による2度の舵の破損により、最終的には7日遅れのゴールインとなり涙を飲む結果となった。これがカティサークが優勝に最も肉薄したレースだった。

↑ カティサーク号。ロンドン東部の都市グリニッジで保存・展示されている。ティー・クリッパー時代の船室も忠実に再現されており、甲板の鶏小屋などは当時の航海の暮らしぶりがうかがわれて興味深い


そして歴史へ

 とはいえ、このとき既にティー・クリッパーは黄昏の時期を迎えていた。カティサーク号がデビューしたまさにその年にスエズ運河が開通し、地中海とアラビア湾を船舶が直行できるようになると、英国・中国間の航路は3000マイルも短縮される。しかもスエズ運河は帆船の通行は認められておらず、速度と積載量で大きく上回る蒸気船がこのショートカットを行き交い始めると、ティー・クリッパーには成す術もなかった。

 カティサークもわずか8度の航海ののち1877年には茶葉の輸送から外れ、オーストラリアからの石炭や羊毛輸送業務へと“異動”になった。だが羊毛輸送では1889年、新型の蒸気船ブリタニア号をも追い抜く最短輸送日数を記録し、蒸気船に対する雪辱を果たしている。

 やがてクリッパーたちも引退の時期を迎え、老朽化したライバルたちが次々とこの世を去っていく中、カティサークは数奇な運命をたどりながらも生き残る。そして21世紀の今、ティー・クリッパーの唯一の生き残りとして、グリニッジ海事博物館で観光客を迎えている。

↑ カフェイン飲料にまだまだなじみが薄かった当時の英国では、茶の覚醒作用は神秘的な印象を伴って受け止められた。LSD小説のはしりともされる『緑茶』や、ドラキュラの作者として有名なブラム・ストーカーの『判事の家』といった古典怪奇文学では、茶の覚醒作用が登場人物たちを超自然の恐怖に引きずり込んでいく。東洋からの舶来品が与えた文化的刺激を読み解く史料ともいえる(写真はイメージ、英国の田舎町の共同墓地)


<参考資料>

Twinings社ホームページ

visitgreenwich記事

世界遺産オンラインガイド

BBC記事




【声明】内容源于网络
0
0
漫步创媒Whenever上海
上海生活に役立つお得な情報や中国現地のビジネス情報を日本語で配信しています。
内容 4659
粉丝 0
漫步创媒Whenever上海 上海生活に役立つお得な情報や中国現地のビジネス情報を日本語で配信しています。
总阅读5.1k
粉丝0
内容4.7k