新中国の建国初期から、中国は外国に留学生を派遣してきたが、改革・開放後には留学が大きなブームとなり、中国の留学事業は大きく発展した。「中国留学発展報告(2013)」国際人才青書によると、1978年—2012年の中国の留学帰国者数累計は109万1300人で、2014年の「留学帰国者」数は33万5千人から35万8千人に達すると見られる。

25歳の王桜菲さんは2009年から2011年まで英国・サリー大学で経営学を学び、帰国後は中鉄建工集団北京分公司で働いている。「留学で私が一番変わったのは、自分をどんな見知らぬ環境に置いても大丈夫な勇気と生存していくための能力があることだ。外の世界を知ると同時に自分自身も理解し、自分の夢を追求する単純な気持ちを持つことができた。留学して帰国し、自分たちの国により奉仕し、国をよくする決心がついた。これが私たち帰国留学生の気持ちだ」。

4月19日、人民大学で人的資源管理のコースを学ぶ王桜菲さん。仕事の間に自分を「充電」している(上写真)。2011年7月3日、英国・サリーのギルフォード公園でピクニックする王桜菲さん(中央)と母親(右)、英国の友人(下写真。資料写真)。

4月18日、在中国キューバ大使館の前で記念撮影する王世鐸さん(左端)と50年前一緒にキューバに留学した同級生(上写真)。1965年、キューバ・ハバナ郊外の学校で先生と記念撮影する王世鐸さん(前列右から3番目)と同級生(下写真)。
今年68歳になる王世鐸さんは50年前、教育部からキューバに派遣された留学生だ。1967年に帰国後は瀋陽重機廠と北京市公安局で働き、2006年に退職した。「あれは新中国建国後、我々の国が初めて大規模に派遣した語学留学生で、我々は皆厳しい選抜を経て、誠実で祖国に対して忠誠であることが要求された。我々はキューバで言葉を学習し、現地の文化を学んだ。帰国後は国家の計画と必要に従い、一心に業務に励んだ。我々の同級生の多くが後に高い地位に上り詰めたが、いずれも清廉、自律的だ。当時受けた教育のおかげだ」。

今年43歳になる郭福さんは1997年に北京工業大学修士課程を卒業後、米国・ミシガン州立大学に留学し、材料科学の博士学位を取得、また電子・コンピュータエンジニアリング専攻でポストドクターの研究を行い、2003年に北京工業大学に戻って教職についた。「留学した6年は私の人生の中で非常に貴重な時間で、科学研究の全面的、系統的な理解を得ただけでなく、異なる社会文化に触れ、西洋先進国がどのように運営され、社会の文明度がどの水準なのか理解することができた」。

4月20日に撮影された紀喬上さんのオフィスの写真。26歳の紀喬上さんは2009年から2011年まで英国に留学し、現在はある国有企業で働いている。「留学で自分の見聞が広まり、異なる考え方を学んだ。以前中国にいたころは『祖国に報いる』という特別な考えはなかったが、留学の経験の後では祖国が豊かになり強くなることで初めて世界で尊敬されると痛切に感じた。現在、中国での発展の余地が大きく、中国の多くの企業が『対外進出』戦略を実施している。我々留学生も活躍の場がある」。

4月19日、北京のあるボクシングクラブでボクシングを練習する紀喬上さん(上写真)。2010年12月15日、バーミンガム大学で空手を学ぶ同級生と記念撮影した紀喬上さん(左)(下写真)。
「人民網日本語版」

