

2014年7月現在中国では47のユネスコの世界遺産が登録されている。このうち北京には、全長6000kmにも及ぶ人類史上最大の建造物「万里の長城」や世界最大の宮殿「故宮博物館」、中国最大の祭祀建造物「天壇公園」など、スケールの大きな6つの世界遺産がある。中でも、杭州・西湖の風景をもとに造られた皇室の庭園「頤和園」は、中国文化の粋を感じられる優美な庭園として地元の人々から愛されている。
この頤和園を「北京のお気に入り」として推薦してくれたのは、建築家の梶ヶ谷友希さん(35)だ。
<推薦者のデータ>
梶ヶ谷友希さん

出身地 神奈川県
中国滞在歴2年
●中国の食べ物で一番好きなもの
過橋米線 肥腸入り、週に一度は食べてます
●中国を漢字一文字で表すと?
吵
●こちらに来て感じた中国人と日本人の違い
中国人は他人に構わず自分の好きな事をする フレンドリー、でもせっかち
日本人は協調性があるがとてもシャイ
●中国にあって日本にないもの
気軽なオートクチュール
●中国人に見習うべきところ
ピュアさ
●中国で暮らす中でこれまでの印象と変わったところ
中国人に対する印象、人が良い人が多い
――初めて頤和園を訪れたのは北京に移り住んで3カ月目の11月でした。その日は、天気が良く、空気も澄んで、景色も全部見渡せて、氷が張った湖では鴨たちが遊んでいました。その光景を見て、なんだかすごく癒されて、季節が変わるごとに来てみたいなと思いました。

頤和園は、自然が豊かで、広大な敷地の中にも起伏があり、静かなところも、賑やかなところもある。下から高台に上がって行くと寺院があって、そこから下を眺めると大きな湖の風景が見える。下を降りていくと回廊があって、そこでゲームをしている人がいたり、色んな庶民の光景が見れるんです。その景色の変化がすごくドラマチックだなと思いました。
普段はどちらかというと人からつっつかれてもなかなか動かないタイプだという梶ヶ谷さん。しかし一旦心に火がつくと周囲の人々を驚かせるほどの行動力を見せる。梶ヶ谷さんはオーストラリアを拠点に活動する世界的な建築家ピーター・スタッチベリー氏の設計事務所で働くことになった。しかし、そこでは思わぬ挫折が待っていた。
――オーストラリアではプロジェクトの進むスピードがすごく遅くて、私がいた2年半の間に結局自分が携わったプロジェクトは1つも完成しませんでした。このスピードのままプロジェクトに関わっていくことが、私の年齢とキャリアにとってプラスなのだろうかと考えていた時に、以前の事務所の代表が北京で事務所を開くから来ないかという話を持ちかけてくれました。

直接日本に帰るよりも、北京という都市を見るのも面白いかもしれない。そう決意した梶ヶ谷さんは、新たな挑戦への期待を胸に、2012年8月北京にやって来た。しかし、そこでは予期せぬ出来事が待っていた。
――最大の出資者であった中国人は、建築家ではなくて、グラフィックデザイナーでした。設計にはあまり詳しくなく、自分が想像していたものと違っていたのか、1カ月後には「俺は下りる」と言って、辞めてしまいました。
1人取り残された梶ヶ谷さんは中国語も話せず、ただ北京の事務所にいるだけの時間が続いた。1年後、残った二人のパートナーからこれ以上お金は支払えないと言われ、日本に戻るか、北京に留まるかの選択を迫られた。その時、梶ヶ谷さんは北朝鮮との国境沿いにある遼寧省の街・丹東の幼稚園のリノベーション設計を請け負うことになる。
――この案件は、11年間地元で幼稚園を個人で経営してきた36歳の女性が丹東にはない新しいコンセプトの国際的な幼稚園を作りたいと依頼してきたものでした。
Flow・Flexible・Freeという3Fをキーワードにしたコンセプトにクライアントは大満足し、プロジェクトは順調に進んだ。しかし、梶ヶ谷さんが驚いたのはその後の工事のスピードだった。それはオーストラリアとはあまりにも対照的だった。
――4月中旬に仕事がスタートしたのですが、クライアントは9月には幼稚園をオープンさせたいと言ってました。私の仕事の契約は基本設計図面という、100分の1程度の図面を提出するものなのですが、日本では、基本設計を終えた後、実施設計に入って、そこで図面が出来上がって、ようやく建物を建て始めます。しかし、この案件では平面図を書いた時点で壁をもう建て始め、立面図が出来上がった頃には壁の下枠はもう出来上がっているという、これまでの常識ではありえないスピードで工事が進んでいきました。現在、内装工事はすでにほぼ終わっていて、幼稚園も8月20日に開園する予定です。
さらに梶ヶ谷さんを驚かせたことがあった。
――1番驚いたのは、クライアントが自分の知り合いの紹介だからというだけで、私の作品も見ないうちに、契約を交わしたことです。中国の信頼社会というのは、すごいものだなと思いました。もしかしたら、中国では日本人建築家は信頼されていて、クオリティが高いものを作るというイメージがあったからかもしれないですが。
将来の夢について梶ヶ谷さんは次のように語った。
――学生時代、不真面目で、友人からも「将来何したいの?」と言われていた私が、今でも建築の設計を続けていることが不思議に思えることもあります。単に楽しそう、面白そうと思える方向に進んでいったら、今ここにいるというだけなのですが。でもせっかくここまで続けてきたので、今後も建築の仕事を続けていきたいです。
梶ヶ谷さんの心にはクールな表情からは想像できない火山のマグマのような情熱が隠されている。おそらく、その内なる情熱ゆえにドラマチックな頤和園に心引かれたのかもしれない。梶ヶ谷さんが手がけた幼稚園の遊路で、上へ下へと登ったり降りたり、トンネルや穴に潜ったり隠れたりして遊ぶ子供たちの笑顔を想像するだけでワクワクしてくる。この建築もまたきっとドラマチックなものに違いない。
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人民網日本語版


