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【逆襲】寧夏の送電線作業員と日本のエリート女性が結婚

【逆襲】寧夏の送電線作業員と日本のエリート女性が結婚 人民网日文版
2014-05-16
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导读: 「送電線作業員」と聞けば、「生活や情緒における繊細さに欠ける」「果てしなく続く過酷な屋外の労働環境」「常に

 「送電線作業員」と聞けば、「生活や情緒における繊細さに欠ける」「果てしなく続く過酷な屋外の労働環境」「常に土や泥にまみれてのキツイ作業」といったイメージを持っている人がほとんどであろう。李克寅さんも、まさにこのような作業員の一人だ。

 ○ロマンチックな出会い

 2009年7月10日は、李克寅さんにとって生涯忘れることのできない日となった。李さんは当時、新疆維吾爾(ウイグル)自治区烏魯木斉(ウルムチ)市の北部で、4カ月もの間、自宅に戻ることなく仕事を続けていた。プロジェクト施工業者の計らいで、彼は1週間の休みをもらい、晴れて家に戻れることになった。ウルムチ駅で列車に乗ると、荷物を棚に置いた。そのとき、2人の女性が、重そうなスーツケースを引きずりながら乗車してきた。

 「大きなスーツケースですね。私の荷物を下に降ろして、あなた方の荷物を棚に置きましょう」-長身の李さんは、気軽に2人に話しかけ、彼女らのスーツケースを棚の上に載せた。これをきっかけに、李さんらのお喋りが始まった。話すうちに、2人は天津理工大学の留学生であることが分かった。1人は香港出身のシンディさん、もう1人は日本人の古川絹代さんで、2人は夏休みを利用して新疆を旅行し、天津に戻る途中だった。

 「もし時間があるのなら、僕の故郷の寧夏に寄ってみませんか?『辺境の江南』と称えられる寧夏は、とても神秘的で美しい土地です。僕が案内してあげますよ」と誘う李さんの誠実な印象と飾り気のない言葉に、2人は大いにその気になり、スケジュールを変更して寧夏に向かうことにした。2人は、沙湖、賀蘭山岩画、西夏王陵など寧夏の観光地を李さんに案内してもらい、地元の名物料理に舌鼓を打った。寧夏人である李さんの「おもてなし」の心が2人に深い印象を残し、寧夏めぐりが終わった1週間後には親友同士になり、名残を惜しみつつ別れた。

 もちろん、物語はこれで終わりではない。新疆に戻った李さんは、古川絹代さんと連絡を取り続けた。いつしか2人の間に互いへの恋心が芽生え、ゆっくりと育っていった。


 ○愛に満ち溢れた関係

 2010年初め、大学を卒業した古川絹代さんは、上海毅石弁護士事務所蘇州オフィスに就職、外資クライアントを担当するシニア顧問になった。当時、李さんの周囲の人々の多くは、彼らの恋愛に賛成しなかった。同僚らは常に、「現地の女性と結婚した方が良い」と李さんに言っていた。

 李さんは、「私は、『恋愛に掟はない』ということわざを信じている。これは僕と絹代さんとの関係にも当てはまる。誰が誰を愛するべきか、誰と誰が釣り合っているか、などの掟など存在しない。彼女は僕を分かってくれており、僕も彼女のことを理解している。愛とは、このように互いに心が通じ合っている感覚をいうのだと思う」と、愛に対する確固とした思いを表した。

 携帯電話とインターネットが、2人を結ぶ主なツールとなった。付き合い始めた最初の頃は、絹代さんの中国語はそれほど上手ではなく、李さんも日本語をほとんど話せなかったため、2人の意思疎通はかなり難しかった。絹代さんはQQのビデオ通話機能を利用して李さんに簡単な日本語会話を教えるようになった。李さんはコツコツと学習を続けた。絹代さんも蘇州で中国語のクラスに入って勉強を続け、彼女の普通語(中国の標準語)はだんだんと上達した。

 あっという間に3年が過ぎた。2人は銀川と大阪でそれぞれの両親に会った。意外なことに、2人の両親はいずれも、大変物が分かった人で、世俗的な色眼鏡で2人を見ることはなかった。2人が予想していた「親の反対に遭う」という心配は、ほとんど杞憂に終わった。

 新居の購入について、実家が裕福ではないことを十分承知していた李さんは、両親に新居購入費用を出してもらうつもりなど毛頭なく、自分が節約して蓄えてきた貯金を頭金にして、銀行ローンを組むつもりだった。その時、絹代さんはただ一言、「頭金は2人で出し合い、ローンも2人で組みましょう。あなた一人に負担を負わせる訳にはいかないわ」と言った。現金崇拝主義や現実主義の女性が多い中、このような善き心根を持った外国人女性に、李さんは改めて深く感動した。

 「日本人女性が現実主義ではないことは意外だった。彼女の両親も、結納金など不要だと言った上、『2人だけで住宅ローンを返済するのは大変だろうから、少し援助しよう』と申し出てくれた。だが、その有難い申し出を僕たちは断った。夫婦だけの力でやっていきたかったから」と李さんはその時のことを振り返り、感情を高ぶらせて話した。

 当時、配電線工事の仕事がかなり立て込んでおり、李さんは数カ月帰れない状態だった。やむを得ず、絹代さんが結婚写真の撮影日を3回目に変更したとき、写真館のカメラマンは、「ご主人になる人は一体どんな仕事をしているのですか?どうしてこれほど忙しいのですか」と、呆れ顔で尋ねたという。絹代さんはそれに対し、いたって真面目な表情で、「電力関係の作業員です」と誇らしげに答えた。

 3年に及ぶ長距離恋愛にも、ついにピリオドが打たれた。言語や文化など、さまざまな障害を乗り越え、李克寅さんと古川絹代さんはついにゴールインした。2013年2月、2人は銀川で、親友や同僚に祝福されて結婚式を挙げた。


 ○幸せな結婚生活を守る努力を継続

 結婚後、夫婦は長期間別居を余儀なくされ、一緒にいられるのはほんの僅かだった。だが、離れ離れの生活によって、夫婦の愛は覚めるどころか、互いへの愛はますます深まった。新婚当初はちぐはぐしていたことも、だんだんとうまく回り始めた。互いに思いやりを持ち、互いを受け入れるために、2人は、普通の夫婦に比べるとずっと多くの努力を払っている。

 昼間、夫の仕事中に電話をかけて邪魔することのないよう、絹代さんは細かく気を配った。夫からもらった作業スケジュールを参考に、休憩時間に電話をかけ、微信(WeChat)でメッセージを送った。また、毎日オンライン・ビデオ通話を利用して、夫に安全作業を呼びかけ、体調にくれぐれも注意するようアドバイスした。李さんの同僚たちは、このような細やかな心配りのできる日本人の奥さんを、しきりに羨ましがった。

 李さんは作業現場で、夫婦の愛情の証である「お宝」を披露してくれた。それは、出発地は国内各地だが、目的地はただ一つ、「蘇州」の鉄道切符だった。「会社が担当するプロジェクトは、寧夏、西蔵(チベット)、青海、山東など、全国各地に分布している。各プロジェクトが終わるたびに、あるいは進行中にまとまった休みが取れると、同僚たちは全員銀川に帰ったが、僕は妻に会うために蘇州に行った。妻も、休暇が取れたら、僕に会いに来てくれた。一緒にいられる時間が短いからこそ、それは僕らにとって何よりも貴重な時間だ。これらはただの鉄道切符ではない。僕たちの愛情の最大の証拠物件だ」と笑いながら話す李さんの表情には、妻に対するすまなさや、どうにもならないもどかしさの気持ちも若干含まれているようだった。

 中国西北部の人々は、「辛くない料理など大嫌い」で、あっさりした味を好む日本人の食習慣とは全く異なる。食事の好みについては、2人は最初から全く異なっていた。そのうち李さんは、冬の休みを利用して蘇州で料理教室に通った。絹代さんが仕事を終えて帰宅すると、美味しそうな料理がテーブルの上に所狭しと並び、彼女はいたく感動した。今では、日本人妻は、中国人夫が作る魚香肉絲(細切り肉のピリ辛炒め)や宮保鶏丁(鶏肉とカシューナッツのピリ辛炒め)が大好物になり、中国人夫も、日本人妻が腕を振るったお寿司やビーフカレーが大好きになった。

 李さんは、「僕のことを心から慕ってくれて、僕の仕事を全面的に応援してくれる妻を持ち、僕は本当に幸せだ」と話す。一方、妻の絹代さんも、夫について、「日々の生活を大事にして、一心不乱に仕事をする、心の底から頼れる男性」と絶賛する。彼女は、「中国人は、『送電線作業員のところになど、娘を嫁がせるものではない。1年中、一人で留守宅を守らねばならないから』という。でも私は、そう思わない。中国の送電線作業員が最も魅力的に映るのは、彼らの強い責任感による。この点で、夫は特に際立っている。家庭や仕事に対してはもちろんのこと、愛情に対する彼の責任感は、日本人男性など遠く及ばない。彼と結婚して、本当に幸せ。後悔など全くしていない」と話した。


 「人民網日本語版」

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