
中国の有名なお茶どころといえば、雲南省や福建省など南に集中している。至る所に茶館があり、日頃からお茶を飲み慣れ、知識もある南方人に比べると、北京の茶文化は大衆にまで広く浸透しているとは言えない。北京で、適正価格で美味しいお茶を購入しようとすると、頭を悩ますことになる。北京の西側の郊外に北方最大と言われる有名な茶葉の問屋街「馬連道」があるが、ここに集まる店は1500軒以上と言われ、どこに入ればいいのか一見さんには皆目見当がつかない。しかも、有名な市場であればあるほど、交渉が大変でめんどくさい。また、東側の住民にとっては少し辺鄙な場所で行きにくいというのもある。

一方、東側には、地下鉄八通線の管庄に「東郊市場」という卸市場があり、その中に茶城もあったのだが、昨年取り壊しとなり、中の店はさまざまな場所へと移っていった。その中の一部の店が地下鉄2号線、四恵東駅から徒歩15分ほどの「通恵湖畔」という新しい商業地区の四恵大廈に移ったことで、約20店舗程の小規模な「四恵茶城」が形成された。
この知る人ぞ知る「四恵茶城」を<北京のお気に入り>として推薦してくれたのは、日本茶・中国茶のインストラクター、気功師の宮崎姿菜子(37)さんだ。
<推薦人のデータ>
宮崎姿菜子(みやざき しなこ)さん
出身 広島県
北京滞在暦 19年
●中国の食べ物で一番好きなもの
佛跳墙
●中国を漢字一文字で表すと?
易
●中国(北京)で生活していてどういったときに良かったと感じますか?
漢方などが手軽に手に入る
私の専門としている分野での優れた先生と直接触れ合うことができる
●中国に住んでいるからこそ、実感する日本への思い
自然を大切にする心
海外にいると、日本をほめたたえてくれる外国人が多いのはとても嬉しい
●中国にいるからこそ見えてくる日本のいい点と悪い点
日本人は時々心に余裕がないと感じることがあります
●こちらに来て感じた中国人と日本人の違い
基本的に「信用」に対しての意識が違う
●中国にあって日本にないもの
星座で性格を決めつける習慣(日本は血液型)
学年が同じでも、生まれた日にちでしっかりとした上下関係を作るところ
(日本は学年が同じであれば、それ以上はこだわらない)
●中国人に見習うべきところ
白黒はっきりしているところ
――もともとは私も西側のお茶市場、馬連道に茶器を購入しに通っていたのですが、2008年北京五輪の際に、ごちゃごちゃしていた馬連道が立派なストリートになったことで、小さな問屋が全部吸収され、ひいきにしていたお店が全部変わってしまったんです。新しいお店と一から信頼関係を築くのは時間や労力もかかる上、家から遠いこともあって、その後は、比較的近い東郊市場の茶城に通い出しました。
この四恵市場は、昨年取り壊しになった東郊市場の茶城よりも、規模こそ小さいですが、建物も新しく、それぞれの店もきれいに内装されているので、日本人には訪れやすい茶城だと思います。開業して一年余りなので、人もまだそこまで多くなく、落ち着いて買い物ができるところもお勧めですね。
◇
現在、日本茶・中国茶のインストラクター、気功師、ビジネスコーディネーターなど多方面で活躍する宮崎さんが北京に初めて訪れたのはまだ高校2年生の17歳のときだった。
――中国に初めて来たきっかけは、母親による強制です。(笑)
もともと、中学の頃から英語が好きで、その頃は、アメリカ留学を目指して勉強していました。ただ、気功師の母親に治療院に連れて行かれて、朝から晩まで治療を勉強したり、特に高校の頃ぐらいから、母親から中国という単語や、将来気功師に、というような言葉がよく投げかけられていました。そんな中、私自身は英語やアメリカに興味が向かっていくのですが、おそらく母親はそれを阻止しようとしていたんでしょうね。
初めて中国に訪れた気功研修も、母親が勝手に申し込んでいて、もうチケットを買ったから行こうよと強制的に中国に連れて行かれました。正直、中国には、テレビで見るイメージそのままの、暗くて、怖い、閉鎖的なイメージを持っていたので、もう嫌で嫌でたまりませんでした。
しかし、宮崎さんは、無理やり連れていかれた中国の訪問先で、意外な光景を目にすることになる。
――初めて行った中国は、観光目的ではなく、気功研修だったので、訪問先は地下鉄1号線の西の最終駅「苹果園」で降りて、さらに北に上ったところにある軍の施設の中の気功治療院みたいなところでした。当時は外国人が泊まれる施設が限られていたので、軍の施設から程近い「香山飯店」に泊まって、送迎バスで治療院に通いました。なので、初めて会った中国人も軍隊の人たちでした。医師免許を持っている人、医師免許はないが、気功師として働いている人。さまざまな人がいましたが、すごく興味を引かれたのは、皆非常に若かったことです。
日本で気功師をしている人は年配の方が多かったので、中国に来て、そこで働いている多くの人が10代だったことに本当に驚きました。さらに、自分と同い年の人が気功をしている姿や、その人たちの礼儀正しさを見て、カルチャーショックを受けました。
初めて会ったのに、一日で家族みたいになって。中国人がよく言う「同じ釜の飯を食べると、一日にして家族になる」というのをまさにこの時、じかに体験しました。1週間滞在したのですが、本当に離れたくないと思えるほど強い絆が生まれました。
この中国訪問をきっかけにして、宮崎さんの人生の目標は、180度大きく変わることになった。
――日本で普通に暮らしていた感覚からいくと、トイレや環境などすべてが驚くことばかりでしたが、中でも一番大きなショックだったのは、自分の甘さを実感したことでした。中国の若い人たちを見て、自分の恵まれた環境に感謝する、というよりも、自分は今のままでは駄目だという気持ちが強くなって、何もない世界で、自分1人でどこまでやれるのだろうか?、という疑問が生まれました。
滞在中は通訳さんに大変お世話になったのですが、この方は大学を卒業したばかりで、一度も日本に留学に行ったことがないのに、非常に美しい日本語を話されました。田舎の農村出身で、何も頼るべきものがない中で、自分の力でがんばってきたんだろうというのを垣間見て、目に見えるものより、内側を磨かないと駄目なんだという気持ちが一層強くなりました。
それまでは、どちからというと、もっと高く、もっと多く、最先端であるアメリカで多くのものを教えてもらうことを目指して、アメリカに憧れていましたが、帰国後はそれが一気に色あせ、今までの価値観が崩れ落ちた気がしました。あるものを目で見て受動的に学ぶのではなく、ないものを見るために、自分をゼロから鍛えることが今必要なんだと、目標が180度変わってしまったんです。帰国して1週間後には、中国留学を決め、気功師になると決意をしました。そして、母親に中国留学を宣言しました。おそらく、母親もそれを聞いて、シメシメと思っていたことでしょう。
……
17歳のときに北京の気功治療院で働く若者たちの姿に心を打たれた宮崎さんは、その時の感動や情熱をたやすことなく、今も日々の鍛錬や学びの姿勢を持ち続けている。やり始めたことは、一生続けるという覚悟を持って、全力で取り組む。おそらく宮崎さんは、気功療法士として人を治療するときも、お茶を入れるときも、自分の中の愛を存分に注ぎ込んでいるのだろう。宮崎さんは、「気功とは人生、人の生き様そのもの」だという。目に見えないことで理解されにくい、気功という途方もなく膨大な学問に人生をかけて向き合っている宮崎さんの姿に心を打たれた。
「人民網日本語版」


