
中国人の若者が夢中になる日本のアニメの中に何が隠されているのか?第2次世界大戦時に米国の文化人類学者ルース・ベネディクトが執筆した「菊と刀」を引用し、アニメ・漫画の中に含まれている日本や日本人の核心的価値観を考えてみる。

米国の文化人類学者ルース・ベネディクトの著書「菊と刀」の中に、第2次世界大戦中の日本人について次のような描写がある。
「従順であると同時に、上からの統制になかなか従わない。忠実で寛容であると同時に、不忠実で意地悪である。真に勇敢であると同時に、臆病である。他人の評判を気にかけて行動すると同時に、本当に恐ろしい良心を持っている。軍隊のロボットのような訓練ぶりをみせると同時に、なかなか命令に服さず、公然と反抗する場合もある。西欧の学問に熱中すると同時に、熱烈な保守主義である。美を愛好し、俳優や芸術家を尊敬し、菊作りに秘術を尽くすと同時に、刀を崇拝し武士に最高の栄誉を帰する」。
これは、同著の中の非常に有名なくだりだ。戦後すでに70年経つが、恐らく日本にとってこれは、今なお続く「呪い」の言葉である。これは、日本と他国・地域を完全に切り離すものであり、そこに存在するのは「異質」であって「同質」ではなく、「個性」であって「共通性」ではない。日本は長年各分野で日本の国の新たなイメージを打ち立てようとしてきたが、残念ながら世界的なイメージはすでに70年前に定まってしまった。
新たな道を切り開くしかない日本は、歌舞伎や茶道、華道などの伝統文化を担い手として文化輸出を推進した。しかし、日本がこれで満足するわけがない。伝統文化の海外での普及が表層的な目標であるとすれば、日本の特色ある「核心的価値観」を海外に普及させることが日本にとっての長年の願いだからだ。しかし、実際の状況はそれほど順調とは言えない。第2次世界大戦の歴史的事実が残した後遺症のため、各国は日本に対して警戒心を持ち続けている。
「日本」や「日本人」の鮮明な個性である「核心的価値観」を凌駕するものにいたっては、各国が婉曲に謝絶している。このため、「核心的価値観」の「脱個性化」は日本が解決しなければならない難題となっている。
しかし、チャンスはいつも偶然によってもたらされるという言葉がある。日本は伝統文化の海外普及の推進に阻まれた後、文化輸出の分野において長らく控えめな態度をとってきた。唯一例外なのが、アニメ・漫画とゲームだった。この2つのジャンルの海外普及は政府や市場の介入がないまま、各国のファンや民間のグループ間で密かに流行していた。1980年代末、日本アニメは世界に影響を及ぼし、国際メディアの注目を集め、日本全体に衝撃を与えた。軽視していたアニメ・漫画がこんなにも簡単に海外の扉を開けるなんて信じられなかったからだ。間もなくして、日本政府が介入し、パッケージを新たにした日本のアニメ・漫画がアニメ文化外交というスローガンの下、世界中の多くの国で広く受け入れられた。
では、日本のアニメはどのようにパッケージ化されたのか?アニメの純真で可愛い見た目の背景に何が隠されているのか?
日本はこれまでの失敗から教訓を得てきた。一つ目は伝統文化を一つ一つの「文化的記号」に分解し、各アニメ・漫画の隅々に散りばめたことだ。例えば、美味しい寿司や華麗な着物、満天に乱れ散る桜の花、どこでも見られる温泉文化など。あるアニメ作品で描かれる物語は長期にわたり、日本の1年にわたる風習が描かれている。春の花見、夏のお盆、秋の紅葉狩り、冬のこたつ、正月の神社参拝などだ。飲食からは日本の日常生活の風習が見てとれる。それはほぼすべてを網羅しており、目立たずに民族文化のイメージを構築している。
次に、価値体系の中でも他国との共通性をできる限り強調していることだ。たとえば、各国の文化的要素などを取り入れると同時に、個性の部分を隠し、脱構築の手段を使って、核心的価値観を再構築している。

この面で日本に最も満足な回答を与えるとしたら、「銀魂」などの日本の熱血アニメがあげられる。中国で圧倒的知名度を誇る日本の国民的3大アニメである「NARUTO―ナルト―」「ワンピース」「BLEACH-ブリーチ-」ではなく、「銀魂」を例にあげるのは、典型的ではない典型性を備えており、より説得力を持っているからだ。「銀魂」は、SF時代劇で、熱血歴史ギャグアニメであり、「ハチャメチャなギャグ+熱血バトル+シリアスな時代劇」が主軸となっている。そのスタイルやストーリー、キャラクター設定などはすべて他の熱血もののアニメ・漫画とは大きく異なる。このため、「銀魂」は、日本熱血アニメの異端であり、非典型的な存在だ。しかし、作品には日本の核心的価値観の「脱構築」と「再構築」が大量に含まれており、非常に典型的な要素を持っている。しかも、非常に賢い、他の典型性とは異なる熱血アニメの手法をとっている。おそらく、この非典型性ゆえに、「銀魂」の海外輸出が非常に好調を示しているのだろう。
「銀魂」は全編を通してパロディの手法が用いられている。江戸時代に襲来した黒船のペリーを異星人に変えるなど、幕末から明治維新の時代に生きていた歴史上の人物をパロディ化している。異星人の襲来によって現代化のプロセスが加速化されるため、作品には江戸時代の最も顕著な時代的特徴のほか、テレビ、コンピューター、航空機などの現代の技術を駆使した産物も頻繁に登場する。これは、江戸時代のパロディであるだけでなく、同時に現代社会のパロディでもあるのだ。しかし、江戸時代の空にUFOを見た時、日本の武士の隣に大手を振って歩く石瀬仁の姿を見た時に、我々はこの世界が幕末の日本なのか、それとも現代の日本なのか、あるいは未来なのかわからなくなる。「銀魂」は時空を超えたパラレルワールドのスタイルで、同時代の人物や事件、作品の引用に対して、パロディや揶揄(やゆ)あるいはギャグといったゲーム的な手段で自己を脈絡のない高みの位置に押し上げていく。しかし、非論理的で凡庸に見える作品の中に、非常に論理的でシリアスなものが含まれている。それが、武士道だ。「日本の核心的価値観の魂」と呼ばれるものだ。
「銀魂」が持つ特殊性は、決して例外ではない。他の熱血アニメ・漫画も一連のポストモダニズムの手法を通じて、武士道や団体精神、集団意識などの価値観を現代性の中に存続させるスタイルを展開している。大衆が最も好むお気楽さと教訓を含まない物語の中に、核心的価値観は完璧に組み込まれている。ほとんどの人、特に青少年はこれに対して全く抵抗力を持たず、ほぼ手も足も出ない状態となる。さらには、知らぬ間に、その魅力にはまり込んでいく。これは、まるで奇跡のような効果を持つ再構築の方法であり、この有効な手段はハチャメチャなスタイルであろうと、シリアスなスタイルであろうと、脱構築に向けて思いのままに運用されている。
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