
ある日本の友人が、ある出来事が原因で心を痛めている。現任の木寺大使が北京に赴任するなり、「蒼井そらを民間交流大使にする考えはあるか」と中国メディアに真剣に問われたのだ。友人にとっては蒼井そらが中国で爆発的人気を集めていることは日本の文芸界の恥なのだ。
先日、俳優の高倉健が他界し、過ぎ去った当時の光景に思いを馳せた人は多いだろう。とりわけ文芸において日本がアジア全土を席巻した輝かしい時代――昭和を思い起こした人は多いはずだ。

戦後から90年代にかけての長い年月は、日本文化界の紛れもない「黄金時代」だった。当時まだ若手だった高倉健も、輝く銀河系の星の一つに過ぎなかった。当時は作家から役者、音楽家、歌手、写真モデルに至るまでが、まるで後光を背負って光り輝く存在であり、様々な文芸作品がアジア、ひいては世界に広まっていった。
当時の人々の価値観は非常にシンプルで、それぞれの分野の腕利きの面々が人情や愛、奮闘、責任といった今で言うプラスエネルギーを放ち、市場の繁栄をもたらした。ところが、後に日本経済が急成長を遂げ、文化と資本主義が緊密に結びつくようになると、後者の影響で娯楽や暴力、性的色彩の強い作品が蔓延していった。当初は世論もこれに強く抵抗したが、莫大な利益に舞い上がり、日本は新たな文化市場を切り開いたなどと誤想した。
実はこの二つの市場は厳密に分けられるものではない。中国が改革開放に舵を切り杜丘冬人と真由美が目に飛び込んできたとき、人々は押し寄せる変化の波に抵抗できるはずもなく、改革開放という中国の環境の変化が「君よ憤怒の河を渉れ」の人気を生み出したと言える。90年代末に至るまで日本は依然アジアにおいて二つの市場を押さえていたが、日本の作品は次第に勢いを落としていく。アジアの繁栄はここに暮らす人々の作品を味わう力を養い、後者の市場が文化の希少品でなくなると、次第にそれは市場の主流ではなくなっていった。それと同時に、アジアの文芸作品も力をつけ、昭和の日本の作品と肩を並べるまでに成長していった。韓流ブームや中国映画の台頭は、一時期の話題から、次第に受け入れざるを得ない現実となった。

高倉健が張芸謀(チャン・イーモウ)監督の映画「単騎、千里を走る。」に登場すると、2005年に中国市場で再び日本ブームを巻き起こしたが、その後で日本の文芸作品が注目されることはぱったりとなくなった。同時期に日中関係が度々困難に直面したこともあり、日本の世論は中国の広電総局の「いじわる」だろうと無邪気に抵抗していたが、実際問題、ここ10年の間に日本は活力や栄養を与えてくれるような良い作品をどれほど作ったというのだろうか。昨年は「半沢直樹」が中国でも一時ブームになった。このことからも分かるように、中国で日本の作品が話題に上らなくなった根本的原因は、日本の作品がすでに中国の観衆が求めるものでなくなったからなのだ。この点を省みなければ、日本作品衰退の勢いは止まらないだろう。競争や陰険な駆け引き、爽やかな若手俳優、涙をそそる作品などを見たければ、もう日本ドラマを見る必要はないのだ。
さらに省みるべきは日本の視聴者自身にある。俳優高倉健を作り上げたのは、当時の勤勉で責任感のある、我慢強い日本人であったが、今日の日本の「男神」を作り上げるのは、その多くが社会と関わることを拒み、恋することにすら興味をもたず、化粧品の特売に夢中になる「草食系男子」ではないだろうか。日中間の歴史認識の違いについて話し合う場においても、彼らは「歴史は私と無関係」という回避的態度をとることが常である。彼らは身の回りで起きる社会問題と向き合うことも怠り、責任回避の立場をとっているに他ならない。
つまり、「男神」はそれを見る視聴者が作り出しており、それを見る視聴者がどんな人間かで、「男神」そのものが変わってくるのだ。
「人民日報日本語版」


