

1931年9月18日夜、中国を侵略した日本関東軍は、奉天(現在の瀋陽市)近郊の柳条湖付近にある南満州鉄道の線路の一部を爆破、爆破は中国軍の犯行であると発表、これを口実として東北軍北大営と奉天への攻撃を開始した。その数日後には、関東軍の侵略範囲は、中国国内20数都市と周辺部にまで拡大した。この関東軍による自作自演の行動は、当時国内外を震撼させた「九一八事変」(満州事変)と呼ばれている。

84年前に起きた九一八事変は、世界反ファシズム戦争が勃発するきっかけとなり、中国軍が、他国に先駆け、単独で、日本軍国主義に抵抗する契機ともなった。九一八事変の後わずか4カ月余りで、日本の国土面積の3.5倍に相当する128万平方キロメートルに及ぶ中国東北部が全て旧日本軍に占領され、3千万以上の現地住民が、奴隷のような扱いを受けた。近代に入ってから最も暗黒なこの時に始まり、中華民族は、祖国を救うことから解放に至るまで、苦難から歓喜に至るまでの紆余曲折の道に足を踏み入れ、それまで経験したことのなかった民族覚醒と運命転換の苦難に満ちた経緯をたどることとなった。
中国人民は、14年に及ぶ堅忍不抜の闘争を経て、ついに、近代史上初の外国からの侵略行為に対して、完全なる勝利を勝ち取った。侵略者による蹂躙から憤然なる抵抗、さらには尊厳を取り戻すまで、中国人民は、血と戦火にまみれるという試練を受けることで、徹底的に目を覚まし、かつてない団結を見せ、勝利者として、世界における大国としての中国の地位を再び確立し、世界の各民族の中でそびえ立つ存在となった。

九一八事変は、我々に、自尊には自立と自彊が必要という教訓を教えてくれた。複雑極まる国際情勢に直面したときでも、自分自身が強くあり続けることで、平和を守り続け、辱めを避けることができる。



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