
住宅・都市農村建設部と中国文化部(省)国家文物局は、4月に保存するべき全国30カ所の歴史文化的街並みを選出した第1回中国歴史文化街区を発表した。夏休みに入った人々に、散策するべき中国歴史文化街区をまとめてみた。
北京市皇城歴史文化街区
多くの人々は紫禁城が皇城だという誤解をしている。実は、紫禁城は皇帝の宮城であり、一般の庶民は勝手に入ることはできない場所だった。紫禁城の外で、内城の内にあるのが皇城だ。
○風情が隠された小さな胡同(路地)

胡同は北京特有の古い街の路地で、高い建物の背面にある四合院の門は開放されている。胡同に入り込んだ三輪車のベルとともに、小さな庭の中で静かに太陽の光を浴びている人々は、日々を賑やかに、地道に過ごしている。北京っ子だろうが、地方から来た人だろうが、多分あなたは単にここに一時滞在したいと思っただけかもしれないが、いずれの人も北京の胡同に対して自分なりの理解と特別な思いを抱いている。
○片方は故宮で、もう片方は庶民の生活の場

南長街から北長街、北池子、南池子までの通りをゆっくりと歩けば、皇室の風情を強烈に感じることができる。故宮の南東に位置する南池子は長安街の喧噪を遮るために高い壁に囲まれており、ことのほか静かだ。さらに100年以上続く北京の伝統的な住居の風貌や構造、佇まいが完全に残っている。散策の道中、一方は威厳のある故宮の景色、もう一方は庶民たちの生活の場といったまったく違う趣を感じることができる。
北京市大柵欄歴史文化街区

大柵欄商店街を歩くと、老舗の店舗がすでに営業を開始し、各地の方言を操る三輪タクシーの運転手が客の呼び込みを始めている。こういった大柵欄の賑やかな感覚は、いずれの観光客の心の中にも流れている。栗味の焼き芋を手にし、口で民間芸能の囃子の下りを口ずさむ。青い瓦が輝く古い街並みを通り過ぎると、店舗の中から馬褂(長衣の上に着る短い上着)を着て、おわん帽をかぶった店員が客の呼び込みをしている。一瞬にして百年前にタイムワープしたかのような感覚に陥る。
天津市五大道歴史文化街区

天津の中心部にある南部に、東と西に向かって並んでいる、中国の西南地域の有名な都市の名前を冠した、成都道、重慶道、常徳道、大理道、睦南道、馬場道という5つの通りがある。天津の人々は、これらの通りのことを「五大道」と呼ぶ。ここは、1920、30年代に建てられた英、仏、独、スペインなどの異なる国の建築スタイルで作られたガーデン式の一戸建て住居が2000戸以上残されている。敷地面積は60数万平方メートル、総面積は100数万平方メートルに及ぶ。そのうち、「歴史風貌建築」や著名人の旧居は300戸以上あり、天津市特有の「万国の建物博覧会」と呼ばれている。
上海市外灘歴史文化街区

外灘(バンド)は上海市の中心部である黄浦江沿いにあり、周囲には黄浦江対岸の東方テレビ塔やジンマオタワー(金茂大厦)、上海タワー、上海ワールドフィナンシャルセンター、正大広場などのランドマークがあり、上海を訪れた観光客なら必ず行くべき場所だ。外灘の東は黄浦江に面しており、西側にはゴシックやローマ、バロック式、中国と西洋の折衷スタイルなど、52の風格が異なるルネサンス建築のビルが建ち並ぶ、オールド・シャンハイ時代の金融センターや外国貿易企業が集中していた地域。
雲南省石屏県旧市街地歴史文化街区

石屏古城は明・清朝時代の建築が比較的昔のままの姿で集中的に残っており、「滇南明清明居博物館」と呼ばれる。2006年、石屏イ族の雲南民謡「海菜腔」や「煙盒舞」が中国第一期国家級無形文化遺産リストに登録された。2008年、石屏の「鳳踊龍飛」は雲南を代表して五輪で披露され、国内外の来賓から大きな拍手と声援で迎えられた。これらの民間民族や飲食文化が共に住民が生活空間である街区を形成した。
江蘇省南京市頤和路歴史文化街区

「頤和路は、民国の歴史の半分を物語る」と言われる頤和路は距離的には決して長くない。北東から南西にかけて1キロにも満たない。しかし、外国公館や著名人の旧居などの民国時代(1912年- 1949年)の建築物が建ち並び、南京市内の民国公館が最も集中している場所だ。青々とした木々が高くそびえ、古銅色の壁に囲まれ、周囲は民国風の建築群に取り囲まれている頤和路は、南京で民国時代の建築物が最も集中する地域であり、南京に訪れた文学青年が必ず街を散策する場所だ。
浙江省杭州市中山中路歴史文化街区

中山中路の前身は南宋都城に面する安城の中央を南北に走る「御街」だった。南宋時代(1127年 - 1279年)から、杭城は一貫して最も重要な都市商業の中心であった。伝統的な商業地として、現在も方裕和や状元館、高義秦、九芝齋、豫豊祥、邵芝岩、奎元館など十数軒の老舗が残っている。通りの両側には清朝から民国初期に建てられた銀行、店舗、住居、寺など様々な建築スタイルを持つ歴史的建造物が建ち並び、杭州の近代歴史建築物が最も集中している、杭州の歴史の変遷を最も豊かに反映した通りだ。
安徽省黄山市屯渓区老街歴史文化街区

屯渓老街は中国の中でも歴史的風貌が比較的完全に残っている古い商業街で、国内外の観光客から「東洋のローマ」「生きた清明上河図」と呼ばれている。現時点で、老街に伝わる技法で、国家級無形文化遺産リストに登録されているものに、徽墨の製作技法、徽州筆の製作技法、徽州三彫(木彫り)がある。
湖南省永州市柳子街歴史文化街区

柳子街歴史文化街区は主に、柳子廟、柳子街、愚渓、西山、鈷鉧潭西小丘(鈷鉧潭の西の小丘の記)などの観光地が含まれる。中でも、柳子廟は紀元814年に永州の人々が唐代の進歩的な思想家、政治家、著名な文学家であった永州司馬(州の長官に属する職)の柳宋元を記念して建てたものだ。この廟は柳子古街の中心となる観光地だ。
全長550メートルの柳子古街は、すべて青石が敷き詰められた古い道で、北京の胡同に似ている。路地の両脇には精緻な飾りが施されたのぞき窓がある白壁と黒い瓦が続き、まるで江南地方の美しい水郷の街のようだ。路地内の建築物は雲壁(天井部分が上下に波打つような形をした壁)や青石の門、石段のほか、多くは古い木造の住居と瓦を組み合わせた建築物となっている。
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