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南京攻略戦に参加した日本兵の息子 「父に代わって謝罪」

南京攻略戦に参加した日本兵の息子 「父に代わって謝罪」 人民网日文版
2015-12-20
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导读:西山誠一さん(84)は13日、招きを受けて南京大虐殺犠牲者国家追悼式典に参加した。西山さんは14日夜、南京民



西山誠一さん(84)は13日、招きを受けて南京大虐殺犠牲者国家追悼式典に参加した。西山さんは14日夜、南京民間抗日戦争博物館を参観し終え、南京を離れる前に、呉先斌館長に「謝罪の手紙」を震える手で手渡し、中国侵略戦争に参加した父に代わり、南京の人々、中国の人々に謝罪した。現代快報が伝えた。


▽南京を初訪問 手紙で父に代わり謝罪


今年84歳の西山さんは、複雑な心境で初めて中国の地を踏んだ。78年前、西山さんの父親は日本軍の砲手として南京攻略戦に参加した。今回、西山さんは友好使者として、犠牲になった南京の人々のために読経し、祈祷した。


西山さんは一週間前、「南京平和法要友好訪問団」の日本民間代表として、南京での国家追悼式典に参加することを招待された。彼は12日に南京に到着すると、こっそりと手紙をしたためて胸にしまい、手渡すチャンスを待っていた。


西山さんを含む石川県加賀市の代表とその他の地方から参加した9人の日本人および宗教関係者は、13日午前に国家追悼式典に参加し、午後には南京大虐殺の30万人の犠牲者のために祈祷と読経を行った。14日、西山さんと訪問団は南京利済巷慰安所旧跡陳列館、侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館、南京民間抗日戦争博物館を参観した。


最後の参観スケジュールを終え、間もなく南京を離れ上海に向かうという時、西山さんは震える手で胸ポケットから手紙を出し、呉先斌館長さんに挨拶した後、一字一句を読み上げた。手紙の内容は以下の通り。


「中国の人々へ


今から70年余り前の日中戦争において、私の父を含む日本の軍隊は、中国各地の平民に言葉で言い表せないほどの苦痛を与えた。私の父、西山正勇は砲兵であり、旧日本陸軍第九師団(金沢市)山砲兵第九連隊第二中隊に所属し、1932年の上海事変と1937年の南京攻略戦に参加、中国に対して2度にわたる侵略行為を行った。父は19385月に徐州の近くで負傷し、1940年に東京陸軍病院で亡くなった。父の犯した罪は、時の政府の指図によるものではあるが、仏教的な観点から見れば、この罪は彼自身が背負うほかはなく、他人が肩代わりできるものではない。許しを得ることは難しく、父の罪を軽くすることはできないことは重々承知しているが、私は彼に代わり、中国の人々に謝罪したい。父らの侵略の事実は永遠に消し去ることはできない。次の世代の人間として、私は中国の人々に、心からの謝罪の言葉を伝えたい。


20151214


西山誠一」


手紙を読み終えると、西山さんは手紙の内容を南京の人々に伝えてくれるよう呉館長に依頼した。西山さんの行動に感じ入った呉館長は、江蘇省の新聞現代快報にこの特殊な手紙の内容を掲載するよう委託した。「昨年始まった国家追悼式典は、我々だけでなく、日本の人々の心も大きく動かした。国家追悼式典にもし一般人、特に日本の人々の参加がなければ、やはり遺憾に思う」。


▽南京で初めて知った事実も


戦後、西山さんの父の位牌は靖国神社に祭られてきた。2005年、西山さんは日本各地の9人と共に、日本政府と靖国神社を相手取り、家族の位牌を靖国神社から分祀することを求めて訴訟を起こしたが、残念ながら敗訴している。


今回南京を訪問し、侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館のホールに足を踏み入れた西山さんは、心を貫かれたような痛みを感じたという。「記念館では、多くの人骨が展示されているところがあった。この記念館はまさに、当時虐殺があった場所に建てられていると知った。私はこれまでそのことを知らず、30万人が虐殺されたという事実も知らなかった」。西山さんをさらに憤慨させたのは、万人坑遺跡から子供の遺体が発見されたことだ。「戦争にも原則というものがある。捕虜を虐待してはならず、罪のない人々を殺してはならない。こうした点からみると、国際法に違反している」。


南京平和法要友好訪問団が追悼活動に参加するのは今回で13度目となる。訪問団の一人、山内小夜子さんは「私の祖父も南京戦に参加した。毎年の追悼活動にはほぼ毎年参加している。加害国の子孫として、私たちは謝罪に行くべきだ」と語った。


西山誠一さんへの一問一答


——謝罪の手紙はいつ書いたものか?


南京行きが決まった後、何かすべきだと感じ、飛行機に乗った後に、文章の形にして中国の人に手渡すのが良いと思った。もしだめなら、訪問団を通じて自分の思いを伝えようと思った。1212日に南京に到着後、この手紙を書いた。


——手紙を書いた目的は?


南京へは今回が初の訪問だが、父が中国侵略戦争に参加したため、足取りが重く、自責の念にかられていた。私は南京に対して申し訳ない思いでいっぱいだった。


——この手紙を読み、南京の市民にどう感じてほしいか?


南京と中国の人々からの許しを得たいとは思っていない。この戦争を許せる人などいないだろう。ただ私は、戦争を忘れてはならないと自らに訴えたかった。


——南京大虐殺では罪のない子供も犠牲になった。一体何がこのような無差別の虐殺を招いたと思うか?


私にもわからない。終戦後、多くの兵士が家族の元に戻ったが、彼らはよき夫であり、よき子供だった。なぜか、戦争が彼らを変えてしまった。


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开设于1998年,涵盖时政、社会、文化、科技等多领域的日语网站(http://j.people.com.cn/)
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