多天治:“基地和治愈两者并行的世界至今存在”
多田治さん「基地と癒やし 二つの並行世界が今も存在」
冲绳是“陆上战争的悲剧和美军基地的岛屿”,而复归本土后,又被赋予了“南国治愈之岛”这样明丽的形象。其中,冲绳国际海洋博览会向日本全国宣传了冲绳“蓝海白沙”的形象,这成为冲绳观光立县的原点。
沖縄は「地上戦の悲劇と米軍基地の島」でしたが、復帰後、「南国の癒やしの島」という明るいイメージがつくられました。なかでも沖縄国際海洋博覧会(1975~76年)は「青い海、白い砂」というイメージを全国に広げ、観光立県の原点となりました。

战后的日本申请举办了东京奥运会、大阪万博会等大型活动,一口气推进了交通、观光等基础设施建设。冲绳海洋博览会正是延承了这样的开发手段。地方上也希望脱离依存于基地的经济模式,谋求自立。
戦後の日本は、東京オリンピックや大阪万博という大イベントを呼び込み、交通や観光などインフラ整備を一気に進めました。海洋博は、その開発手法を持ち込んだものです。地元の側も基地依存の経済から脱却し、自立するために求めた背景があります。
海洋博览会结束后,到了70年代末航空公司推出了“亚热带燃烧的太阳和海洋”这样本土没有的概念,掀起了一阵到冲绳新婚旅行的热潮。冲绳以夏威夷、关岛为学习对象,并成为了它们的竞争对手。80年代出现了泡沫经济,海边建立起了豪华酒店,也开始开发娱乐休养设施。
海洋博が終わり、70年代末になると航空会社は「亜熱帯の焼けつく太陽と海」という本土にないイメージを押し出し、新婚旅行ブームを巻き起こしました。ハワイやグアムがモデルであり、ライバルでした。80年代には、バブル経済もあり、海沿いに豪華ホテルが建てられ、リゾート開発が進みました。

不久后,冲绳对本土而言从“非日常”转变为“日常”。2000年,冲绳举办了八国首脑会议,次年,日本放送协会播出连续电视小说《水姑娘》。其他描写冲绳民众日常生活的出版物也相继面市,塑造了精神又健壮的冲绳人愉快生活的形象。
やがて沖縄は、本土にとって「非日常」から「日常」になっていきます。2000年に沖縄でサミット(主要国首脳会議)があり、翌年、NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」が放映されました。「沖縄オバァ烈伝」など人々の日常を描いた出版物も相次ぎました。元気でたくましい人たち、楽しい暮らし、というイメージができていきます。
苦瓜在日本本土有了别的称呼,炒苦瓜也成为了寻常食物。冲绳文化不再是短暂的热潮,而是成为了一种固定的生活方式,也有很多人从本土搬到冲绳。
ニガウリは本土でもゴーヤーと呼ばれ、ゴーヤーチャンプルーが普通に食べられるようになりました。一時のブームではなく、生活スタイルとして定着し、本土からの移住も人気を呼びました。
未完待续
责任编辑:赵kimi 千古醉羊


