

平成25年度青年海外協力隊員遼寧省撫順市朝鮮族第一中学日本語教師
2013年10月、みぞれ混じりの冷たい雨が降る土地にやってきました。大きくてきれいだけど無機質で薄暗い空港。学校からの迎えの車は私を乗せて走りだします。空港から少し離れると何もない、まさに荒野が広がっており、土がむき出しになった山の前をロバ車が走ります。北京では見なかったこの光景に、「ああ、本当に異国にやってきたんだな」と実感しました。任地の撫順は想像していたよりも都会で驚きましたが、埃っぽく小汚い路地は私の心を不安にさせました。
任地の撫順市にやってきた日のことを思い出してみました。つい昨日のことのようですが、もう2年が経ったのかと思うとなんとも言えない気持ちになります。
私の任地は遼寧省撫順市朝鮮族第一中学。中学校1年生から高3年生までが日本語を学んでいます。生徒は朝鮮族が多いですが、漢民族や満州族の子もいます。民族分け隔てなく、みんな兄弟のように仲がいいです。
私がこの2年間で気をつけたことはたった2つでした。
ひとつは協力隊の活動を特別なものだと思わず、仕事だと思って向き合うこと、広く言うと自然体でいること。もうひとつは既存の価値観で判断しないことでした。
青年海外協力隊だから、国際ボランティアだから、「日中友好を」などと考えることはありませんでした。意識は日本で働いていたときと変わりありません。「仕事」として向き合いました。

自然体でいることで見えてきたことは、まず、人それぞれの個人個人の姿でした。明るい性格の人もいれば、おとなしい人もいる。人の目を気にする子もいれば、大胆でなんでも挑戦する子もいる。友達に囲まれている子もいれば、いつもひとりで窓の外を眺めている子もいる。まさに日本のそれとなんら変わりがありません。
過去に日本軍による数百人〜数千人規模の虐殺事件があった撫順市で2年暮らしましたが、日本人だからという理由で嫌がらせを受けたり、嫌な気分にさせられたりすることは一度もありませんでした。
「中国人は反日だ」
日本でよく聞く言葉です。確かに反日の人や日本が嫌いな人はいると思いますが、彼らをひとつにくくって「中国人はああだ、こうだ」などと言うことがどんなに愚かなことかと思い知らされました。
私は学校内の学生寮に住まわせてもらっていました。
寮生とは自然と仲良くなり、夜になると毎晩生徒が部屋に遊びに来たり、たまに一緒に出かけて屋台でB級グルメ(?)をつまんだりしました。
ある日、私が生徒を引率する予定だったイベントの申込用紙を生徒から回収していました。
私はひと目で見破りました。「保護者のサイン、自分で書いたでしょ?ダメですよ」

すると、彼は「先生が一緒だからいいんです。先生はもう僕の家族ですから」と。
「ダメです。ちゃんとお父さんに書いてもらいなさい」と冷静に突き返しましたが、その言葉が嬉しくて笑ってしまいました。
日本語ではなく英語を学んでいる寮生とも仲良くなりました。日本のアニメが好きでカタコトの日本語が分かります。
彼は学校の先生との関係があまりよくなく、途中で退寮させられることになるのですが、そんな彼に「先生は他の先生 違う。とても友善 親切です」と中国語混じりの日本語で言ってくれたのもいい思い出です。
中国での生活を通じて、異文化というのは国や民族間で存在すると思いがちですが、実際は個人と個人の価値観の違いをあらわしているものだと思うようになりました。人と話をするときは、相手の価値観と自分の価値観は異なって当然であるというところからスタートすることが相手への理解の第一歩ではないかと思います。何事も、まずはありのままを感じ、受け取り、それから、この考えや価値観の背景となるものはなんだろうかと頭を捻る。自分の価値観でその他を否定するよりも、自分自身の視野も大きく広がり、成長することができるのではないでしょうか。
このように思えるようになったことだけでも中国で学んだ大きな収穫だと思います。
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